トラの木舎−ArtとZakka

ADHD優勢型ASD絵描きの私とミニチュアじゃないデカピン(ミニピン)のケントとくろねこルイスとシャムMIXくーちゃんと、大きな人間(息子)とゆるーい自給自足生活。(無断使用、無断転載禁止。)

ADHの私がなぜこの仕事で食べていく事を決めたか

こんにちは、今回の記事は何故ADHDの私がこの仕事で生きて行こうと決めたかについてのお話を残しておこうと思います♫

私がADHDと認定されたのは2年前、35歳の時でした。診断されてからはとても浅いのですが、その診断を受けたことが私の人生のターニングポイントとなりました。

私の特性としては集団がとても苦手です
それは幼稚園の頃から今も変わらず一貫しています。聴覚過敏持ちなので沢山の音を吸い上げてしまい苦痛になるのと、四方八方に予測不可能な動きをしている集団の中に混じっていると落ち着きません。
1人が楽だけど、円滑に友達関係を築いていける友人たちが羨ましいと思いながら学校生活を過ごしていました。学校での事や、聴覚過敏の事はまた別記事にしていつか書いていきたいと思います。

集団がとても苦手なので、職場にも馴染めず、無理して馴染もうとすると、空回りしてしまい失言やおかしな行動をしてしまったりで転職は本当に沢山しました。職場の中に入ってしまうと、
誰かに聞く
と言うことができない。致命的なことです(汗)職場以外だったら初対面でもたくさん話せるのに、なぜか職場限定で起こってしまう私の謎な思考。これでまず相手との距離感がおかしくなってしまい、お互いにギクシャクしたなんとも嫌な空気に。

個人で動くとなると、頭の回転が早くなります。誰かと一緒にとなってしまうと私の生産性は本来の力が出せずグッと下がります。

なぜだろう、なぜだろう、と35年間悩んできましたが、ADHDと診断が出て本当に救われた気持ちになりました。今までの躓きや悩みの答えがわかったからです。そこで私は、どう頑張っても私の性質では集団に溶け込む事は無理な事なんだと組織の中で働くと言う選択をなくしました。

私の得意な事、人にたくさん褒められてきた事。それを仕事としてやっていこうと考えた時、わたしには絵を描いていく事だと。絵で食べていくなんて今時、、、絵だけで生活ができるのか、、、そんな悩みはこれっぽっちもありませんでした。決めた事に対して甘えがでないように副業も絶対しないと決めました。

2年前に母に発達障害だと打ち明けた時は

「ごめんね、もっと早く気づいてあげれれば。」

と言われましたが、35歳で診断されたこの今がベストだったんだと思っています。色々な場所、色々な人、色々な経験をしたから、今こうやってその全てが土台になって今が形成され、絵でやっていこうと決断できてるわけですから。好きな事をして生きていくという選択ができている事はとても幸せな事ですから。

子供の頃から絵を描いていて、たまに絵の仕事をしたりはしていましたが、こうやって絵だけで生活していこうと決めて2年近く経ちました。誰にも迷惑はかけず、自分のペースで仕事できている今の環境を選んで正解でした、ストレスがだいぶ減りました。

本当に自分の好きな事はずっと続けられるADHD、それを仕事に少しづつシフトしていく。最初は私みたいにストイックにならず副業感覚でもいいと思います。好きな事を仕事に。ADHDにはとても向いている働き方だと痛感しています。

f:id:kuronekoekaki:20190908165835j:plain


Instagramへは↓の私のHPか
ナカタマイで検索ください。

良かったら応援ポチ御願いします⌄̈⃝
にほんブログ村 にほんブログ村へ
にほんブログ村

くろねこ絵描きHP
Instagramにも飛べます)

https://kuronekoekaki.jimdofree.com

フリマアプリ「メルカリ」で販売してます
https://www.mercari.com/jp/u/404143300/